情報処理学会情報規格調査会SC29専門委員会(以下、JSC29)に対する本協議会からのリエイゾンとして、木田泰夫さんが参加してくれることが、正式に決定した。
JSC29は、主としてJpegやMpegなどの静止画や動画に係わる国際規格を担当しているが、なぜか、Open Font Format(ISO/IEC 14496-22)というフォントに係わる規格も担当している。しかし、仄聞するところだとJCS29にはフォント技術のエキスパートはおいでにならない、とのこと。そりゃそうだ。動画関係の技術とフォント技術では、だいぶ事情が異なるからね。
一方、ほとんどのベンダーが、当協議会のメンバーになっているフォント業界は、従来からOpenTypeの規格内容を実質的に仕切っているMicrosoft社やAdobe社から提供される技術情報を直接用いてフォント開発を行っており、国際標準化活動という意味での関与は行ってこなかった。
しかし、えらそうなことを言うようだが、国際規格というのは、天から降りてくる神の声のようなものではなく、その技術に係わる当事者たちが、グローバルな公共性、公平性を維持しながらも、それぞれの利害をぶつけ合って作り上げていくものなのだ。とまあ、こういう偉そうなことも、ぼく自身がSC2(UCS、ISO/IEC 10646)やUTC(Unicode Technical Comittee)の活動を通して学んできたことなのだけれど。
というわけで、協議会の会長としては、フォントベンダー各社にも特に若いエキスパートに、与えられた規格を唯々諾々としてうけいれるだけではなく、規格の問題点を積極的に指摘し、出来れば、特に日本語の表記に係わる新たな提案をしてもらいたいなあ、と日ごろから思っていた次第。
そんな折、例の村田真が、アクセシビリティの方から、Open Font Formatにも興味を持ち始めて、現在のJSC29の状況にも気付いた、というわけ。
公的国際規格策定の場でも、日本のフォントベンダーの意見を反映できるパスを通せないか、とJSC29の関係者ともいろいろ相談した結果が、木田泰夫さんにリエイゾンとしてJSC29に参加してもらう、という妙手だった。
フォントベンダー各社が、独自に情報規格調査会の会員になって意見を言えばいいではないか、という考え方もあるにはあるが。ここには、日本の公的技術標準への関与のしかたそのものの大きな問題がよこたわっている。
情報規格調査会は、経産省からの補助金も得ているが、基本的には、会員各社が負担する会費でまかなわれている。これが、結構高額なので。従来は、それこそ、日立製作所や富士通、日本電気、MicrosoftやIBMといった大企業が金も出す、人も出す、という形で係わってきたが、フォントベンダーはごく一部を除いて、ほとんどが小規模で、とてもではないが、金の面でも人の面でも、日立や富士通の向こうを張るような芸当は出来ない。もちろん、CITPCにも、独自の予算で情報規格調査会の会員になるなどとは、夢のまた夢。
一方、SC2についても言えることだが、文字符号やフォントは、単なる《技術標準》では解決できない文化的、社会的要件が深く関わってくる。価値中立的な技術的議論だけでは、いかんともしがたいのだ。
木田さんのJSC29へのリエイゾン参加というのは、このような閉塞的な状況を打破する可能性のある、妙手というか、ちょっとしたクリーンヒットなのではないか、と自賛する次第。
言い忘れていたけれど、リエイゾンというのは、元々は軍隊用語で、連絡将校のこと。標準化活動の世界では、利害が関係する団体やグループ間調整役のような位置づけになる。オブザーバーとは、わけが違うのだ。
木田泰夫さんのこと
ぼくが書きたかったのは、こんなややこしい国際標準化の現場の話ではなくって、木田さんご自身のこと。というか、木田さんとは、村田真ともども、もう長いお付き合いだしね。
木田泰夫さんの知遇を得たのは、ずいぶん以前のことだ。といっても、あまり以前のことで、記憶も定かではない。
「ユニコード戦記」にも木田さんは登場していて、UTCに対して、Variation Selectorの提案をしたころ、ルビタグも問題になっていて、ルビタグが理解できない処理系がルビタグを読み飛ばしてしまって、結果的に平文になった場合、意味が真逆になる絶妙な例をひねり出してくれたのが木田さんだった。樋浦秀樹さんも含め、三人でほぼ徹夜で二つの寄書を書き上げたことを、昨日のように覚えている。「ユニコード戦記」の記述では、1998年2月のこと。
同じ1998年には、東京でInternational Unicode Conferenceが開催されていて、このカンファレンスの後、樋浦さん、村田さん、檜山正幸さんと、確か「Unicodeは怖くない」といったタイトルで月刊ASCII誌上で放談会みたいなものをした記憶がある。
この月刊ASCII誌上での放談会は、檜山さんが、当時ASCIIの編集部にいた西村賢さんを引きずり込んで企画してくれたもので、何度か行われた。この一連の集まりに、木田さんも参加したことがあったように記憶している。そのころって、まだ木田さんはクパチーノの本社ではなく、日本のオフィスを拠点にしていたように記憶している。
いずれにしても、このころ木田さんの知遇を得たことは間違いない。
その後、木田さんは拠点をクパチーノのアップル本社に移して、仮名漢字変換機能の実装や日本語フォントの調達だけではなく、Macを初めとするアップルの諸製品の日本語関連を含む国際化の中核を担っていくことになる。
UTCやSC2のために西海岸に出張した折に、樋浦さんと共にミーティングに参加したり、一緒に食事したり。ベイエリアにはいろいろな日本食屋があり、徳島ラーメンの店もある。だけど、ぼく的には、そのころはジャストシステムの社員だったし、ジャストシステムの本社は徳島だし、いくら木田さんが旨い旨いと言っても、ちょっとなあ、という気分で、樋浦さんともども、お二人に本場の徳島ラーメンをご馳走するために、ジャストシステムの招待したこともあった。
あと、忘れられない思い出は、2010年の10月に台北で開かれたEPUB関連の会議の折、村田さんも含めて、3人で鼎泰豊で、この年の4月に急逝した樋浦さんの思い出を語り合ったこと。
このころの木田さんは、EPUBの日本語機能の前提となった「W3C技術ノート日本語組版処理の要件」とオープンソースとして開発されていたWebKitの実装とすりあわせの場面で、大活躍をしてくれていた。
国際標準を含め、一連の要件を策定するとき、策定する側があまり実装局面での制約や既存のシステムのことを忖度することは、好ましいことではない。旧来の方式の問題点を引きずってしまったり、システム全体としての整合性や効率を毀損してしまうことが多々ある。かといって、机上の空論ではだれも実装してくれない。
W3Cでは、このような状況を避けるために、最終的なrecommendationとする前に、最低限二つは実際に動く実装が存在することを求めている。
EPUBのときも、仕様制定と並行して、WebKitにおけるCSS縦書き実装が進んでいた。この実装がなければEPUBとHTMLの縦書きはどうなっていたか分からない。縦書きの電子書籍はなくなっていた可能性もある。
そんなわけで、村田真も木田さんには頭が上がらないわけよ。
そんな木田さんが、日本の高校に進学したお嬢さんの弁当作りのために、出身地の京都に戻ってきた。「EPUB戦記」によると、2015年9月に、帰国準備のために一時来日していた木田さんを含めて、会食をしている。
そして、2017年。講談社、小学館、集英社、KADOKAWAの出版大手4社と電子出版のメディアドゥがスポンサーとなって、慶應義塾大学藤沢キャンパスに、Advanced Publishing Laboratory(以下、APL)が設立される。
このラボの大きな目的の一つに、SFCにあるW3Cホストを通して、日本の出版界からの要望をW3Cの関連ワーキンググループのインプットすることがあった。
ぼくは、「日本語書記技術」のワーキンググループの座長を引き受け、村田真とも語らって、木田さんにもメンバーに加わってもらった。
このワーキンググループは、二つの側面を持っていて、一つは、「日本語組版処理の要件」の批判的継承、もう一つは、旧来の紙の出版物が500年余りにわたって担っていた社会的役割を継承する未来のドキュメンテーションの在り方の模索。
あたりまえのことだけれど、後者の議論は、既存の出版界の(したがって、スポンサー各社の)在り方に対して、批判的にならざるを得ない。というか、ぼく自身は、かつての電子書籍コンソーシアム時代やEPUB戦争時代のことも含め、 日本の出版社の電子出版に対する取り組み方には、常々批判的だったわけだけれど。
そんなわけで、日本語書記技術WGは長くは続かなかった。
で、前者の「日本語組版処理の要件」の批判的継承の方は、出版業界のみならず、まさにデジタル通信技術時代の日本語の在り方全般に係わる重大な問題でもあるし、日本語のみならずグローバルなW3Cのアクティビティの中でも、JLreqのアプローチはある種のロールモデルみたいになってしまってもいたので、APLの活動とは切り離して、W3Cの正式なTask Forceとして仕切り直すことになった。
ここでだ。ついに揚げ幕がチャリンと鳴って、花道から木田泰夫議長が登場。「いよ〜、竹屋あ〜」
※木田さんの京都のお住まいは、竹屋町に接しているのでね。
せっかく、アップルを退社して、ハッピーアーリーリタイアメントのつもりだったようだけれど、へへへ、またも舞台に引きずり出してやった。
で、このTask Forceについては、昨年実施されたJEPAのセミナーがなかなかよかったので、このヴィデオを見ていただくことにして。
フォント規格の闇
ぼくは、昔からフォントがらみの話題が苦手だ。内輪話めくが、文字符号屋とフォント屋は、どうも人種が違うような気がする。ぼくは、たぶん文字符号屋なのだが、フォント屋の典型はたぶん副会長をお願いしているアドビの山本太郎さん。太郎さんとの付き合いも長くって、彼がまだモリサワにいた30年以上も前からの知り合い。ぼくがジャストシステムに入って、大地という当時最先端のDTPシステムの製品企画を担当していたころから。
いずれにしても、フォントというのはある種の美的素養が係わっていて、美しいとか美しくないとかいったレベルの議論が大きな割合を占めるようだ。で、ぼく的には、ここらあたりの議論がどうにも苦手なわけ。フォント屋さんというのは、美意識とも係わりがあるのだろうが、文字の一点一画への拘りがまた半端ではない。例えば、文字情報基盤の文字情報一覧表では、ぼくの名前の一部でもある《龍》の字の最初の一画が、縦棒になっているのと横棒になっているのとに、それぞれ別の文字図形名が付けられているが、本人が言うのも何だが、まあ、どっちでもいい、と思っている。ぼくも昔編集者の端くれだったが、編集者の中には、縦棒の《龍》は品がないから使わない、とかのたまう現役の編集者もいたりして。
閑話休題。フォントの議論になると、どうしてもどのように符号化するか、ということよりも、どのような字形にするか、ということに重きが置かれるような。
そのせいかどうか、フォントフォーマットについては、今まで、規格としての美しさというか整合性の議論があまりなされてこなかったように見受けられる。このあたりからは、文字符号屋から見てもこれまた異人種であるゴリゴリの規格屋である村田真からの耳学問が多くなる。
昔から、フォントフォーマットにはWindows系とMac系の二つの大きな潮流があって、それぞれ独自の進化を遂げてきた。それが、あるときから、相互に使われるようになって、今の国際標準となっているOpen Font Format も、このWindows系とMac系のフォーマットを呉越同舟のような形で一緒くたにしてしまったために、ある視覚的な機能を実現する方法が二つならずいくつも存在する、といった状況になっている。カラーフォントにいたっては、三方式が併存しているとか。
まあ、中身については、おおむねMicrosoftの専門家とAdbeの専門家が話し合って決めているのだが、公的標準としてのOpen Font Formatは、SC29という本来はJpegやMpegなどの静止画・動画フォーマット周辺の規格を担当するSCが担当していて、SCとしての議論もほとんどないままにラバースタンプを押す、といった状況になっているらしい。書き足すなら、Microsoftは、Open Font Formatと同じものを、OpenTypeとして出版し続けている。
まあ、ぼくの主戦場である文字符号の世界でも、あまり偉そうなことは言えず、特に、利用者が非常に少ない言語に係わる文字(minority script)や、歴史的な文字(histric script)については、日本国内の専門家へのアプローチもままならないままに、UTCのエキスパートにおんぶにだっこのままで、ほとんど無批判に賛成票を投じているような現実もあるのだけれど。
背景説明が長くなったが、やっと木田さんの話に戻れそう。
JSC2にフォントにもわがCITPCから標準化活動にも通暁した専門家を送り込もう、と考えたとき、もうぼくたちの頭の中には、木田さん以外の名前は浮かんでこなかった。
木田さんは、どうも、規格屋でも文字符号屋でもフォント屋でも、なさそうなのだ。
あえていえば、「竹屋あ〜」。
アップルにももちろん、規格屋もいれば、文字符号屋もフォント屋もいるわけで、木田さんは、そんな一癖も二癖もあるエキスパートたちをうまくコントロールして、現在のMacやiPhoneの日本語関連機能を、アクセシビリティをも含むグローバル、ユニバーサルな機能の中で、調和的に実現してきたわけだ。
そんな木田さんを、リエイゾンとしてJSC2に送り込むことが出来るCITPCって、なかなかなもんだなあ、とまたも自画自賛で今回はチョンチョンチョンチョン。