文字情報トレンドVol.2

2025年3月14日(金)当協議会主催のオープンセミナー、文字情報トレンドVol.2が開催された。冒頭の会長挨拶以外は、聴衆の一人として聴いていた。じつに面白かった。このブログをお読みいただいている方の多くは、会場なりオンラインなりで参加してくださったと思うけれど、参加できなかった方々は、イワタの水野社長が、ビデオ記録を整理してアップしてくださったので、下記を参照していただきたい。

ぼくなりの感想を二三。

セッション1は、「デジタル組版(Web組版)の現在と未来」と題する木田泰夫さんの講演。

木田さんは、元アップルのエンジニアで、ことえり開発のころから、アップル製品の日本語に係わる部分のディレクションに係わってきた有名人。アップル社と引退したのを機に、そのころぼくが係わっていた電子書籍周辺の標準化活動に引き込んだ。今では、W3CのJLreq-Dタスクフォースのバリバリの議長殿。

JLreqのオリジナルは、小林敏さんが中心となって活版印刷の伝統を継承する形で、紙の印刷物を電子化するという視点でまとめられたもので、電子組版システムの開発などには活用されたが、Webなどの行長や行数がダイナミックに変化する環境では、いろいろ不都合な点があった。なにより、記述が詳細にすぎるうえに、実装上の優先順位も分かりにくく、W3CのInternatilnal core WGのチームリードであるRichard Ishidaからは、もっと分かりやすく簡潔な改定版を出してほしいと、強く求められていた。

そうした中で、JLreq-Dは、従来のJLreq第2版の改訂作業として開始されたが、ほどなく”-D”を付加することにより、いわばWebを中心とするデジタル表現に特化した方向性を明確に指向するようになった。ま、それも、木田さんの英断によるところ大なのだけれどね。

JLreq-Dそのものが完成するまでには、まだしばらく時間がかかりそうだけれど、今回の木田さんの報告を聴いて、ぼくは、ある種の感銘を受けた。

「木田さん、腰が定まったな」

木田さんの発表は、迷いが吹っ切れたというか、肚を括った、というか、活版印刷の文化を、そのよき伝統は尊重しながらも、盲目的に墨守するのではなく、引き継ぐべきは引き継ぎ、切り捨てるべきは切り捨てる、そして、ボーンデジタルのための新しい日本語の文化を創り出そう、という気概がひしひしと伝わってきた。

ビデオを通してでも、木田さんのそんな気概をくみ取っていただければ幸い。

セッション2は、「文字印刷の歴史(活版からデジタルへ)」と題した、TOPPAN印刷博物館学芸員の本多真紀子さんによる発表。写真植字技術の発明から実用化、写植書体の展開を軸としたもの。ざっくり、百年の歴史。

ぼくが小学館に入社したのは、1976年。もう半世紀も前のことなのだ。最初に配属された学年別学習雑誌「小学六年生」は、本文10折のうち、9折はマンガを含め、オフセット印刷か全凸と呼ばれる写植で打った本文を写真撮りして、一ページごとに凸版を製作した上で、紙型経由で輪転用の凸版を起こす、という技法が取られていたが、学習ページと呼ばれていた最終折だけは、まだ、活版で組んでいた。

昔話をもう一つ。集英社のノンノが創刊されたのが、1971年。写研のナール書体が本文に使われたことで、大きな話題となった。ぼくが小学館に入社したころは、本文組はまだほとんど明朝体で、グラビアページなどに角ゴシック系の例えばゴナなどが使われるようになり始めていた。新入社員として配属された編集部の真新しいデスクの上には、大日本や凸版の活字見本と一緒に、写研とモリサワの書体見本帳が載っていた。小学館の「新選国語辞典」も。そして、写研の書体見本帳は、毎年毎年新しい書体が追加された新しいものが、届けられていた。

本多さんの発表を聴きながら、特に後半部分は、ぼく自身の自分史と重なる部分も多く、まさに自分ごととして、興味は尽きなかった。

一方、前半の石井さんと森澤さんの話。お二人の協業と確執。どちらがいい、どちらが悪い、という話ではない。しかし、このような鬩ぎ合いがあって今がある。ぼくは、この写真植字技術の歴史に触れるたびに、サントリーの鳥井信治郎とニッカウヰスキーの竹鶴政孝のエピソードを思い起こす。

ともあれ、本多さんが話されたような歴史があって、その上に今がある。そして、今。モリサワによる写研書体のデジタルフォント製品化プロジェクトが着々と進行している。

セッション3。村田真による「ディスレクシアとフォント」

村田真は、ここ数年、大阪医科薬科大学の奥村智人さんと、ディスレクシア(読字障害)の児童を対象としたフォントデザインや組版方法と読みやすさとの関係についての実証実験を行っている。XMLやEPUBの国際標準化活動で、悪逆非道な陰謀術数の限りを尽くしてきた(ま、ぼく的にも人のことは言えないが)彼も、改心したということか。

いずれにしても、今までほとんど手が付けられていなかった分野への果敢な挑戦であることは疑いない。

講演の内容自体は、実証実験だけに統計的な数値や図版が多いこともあり、セミナーのヴィデオ記録そのものをご参照いただきたいのだけれど、一つだけ、猛烈に印象に残った言葉がある。

「実証実験をやってみて、自分がいかに分かっていないことを分かったつもりになっていたかを痛感した。今回の実証実験の自分にとっての最大の成果は、ディスレクシアとフォントデザインや組版との関係は、いまだにほとんど何も分かっていない、ということが分かったことだ。」

ちょっと感動したね。

最後のセッションは、会員会社各社気鋭のフォントデザイナーたちのパネルセッション。前回のセッションもだったけれど、デザイナーたちそれぞれの、個性と思い入れが前面に出ていて、すこぶる面白かった。

ぼくの専門は、一応、符号化文字集合ということになっていて、特に、UnicodeやUCSのCJK統合漢字周辺のことがらには係わりが多いので、ついつい何万字にも及ぶ巨大な文字表に関心がいってしまう。そんなわけで、目にするフォントも多くは明朝体でたまにゴシック体や楷書体に限られてしまう。その上、何万字もの漢字の多くが、戸籍であったり登記簿であったりといった行政上不可欠な個人名や地名の表記に係わるものだから、扱っていて面白い、みたいなことはないわけ。

その点、このセッションでの話題の多くは仮名文字のデザインに係わるもので、広告や本の装幀、マンガの表記など、理屈よりも感性に係わる表現を扱ったものだったわけで、若いデザイナーたちの自己表現というか、ユーザーたちの自己表現を支えようという心意気というか、そんな熱気が伝わってくるセッションだった。

ちょうど、大河ドラマにつられて源氏物語(小学館の古典文学全集に収められている現代語訳)を読み進めていた折なので、平安時代の男女(なんにょ)が文(ふみ)に込めた思いと遙かにつながるものがあるのかなあ、などと夢想したりして。

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