2025年12月12日(金)13:00〜17:30、東京駅前のJPタワーカンファレンスルームで、題記のシンポジウムを開催します。
当協議会は、前身にあたるIVS技術促進協議会として発足してからちょうど15年となります。区切りがいいということもありますが、IVSを初めとする文字情報技術が、国際標準化活動を含む標準開発の段階、OSやサーバー、ネットワークシステムなどの基盤システムへの実装の段階をほぼ終え、今後の公共システムや民間の大規模システムなどへの積極的な実装運用に重点が移っていきつつ時期でもあり、みなさまに、文字情報技術の《最前線の今》に直に接していただく機会として企画しました。ユニコード技術委員会の主要メンバーであり、漢字部分の標準化作業グループのリーダーも務めるケン・ランディさんを初め、デジタル庁 デジタル社会共通機能グループ 統括官の楠正憲さん、文化庁国語課主任国語調査官の武田 康宏さん、そして、当協議会副会長で国立国語研究所の高田智和さんと、まさに文字情報技術を第一線で引っ張っておられる方々が、ご講演くださいます。現場の熱気を直接感じ取っていただくため、敢えてオンライ配信はせずに、対面参加のみとしました。年末でみなさん多忙を極める時期だと思いますが、どうか万難を排してご参集いただきますようお願い申し上げます。
以下、ぼくの、協議会と講師の方々との半ば私的な思い出を。
ぼくは、1976年に、2度の留年を経て、ようやく大学を卒業し、小学館の学年別学習雑誌の編集者として、社会人としての人生をスタートしました。爾後約半世紀、大きく分けると3つの時期に区切ることが出来ます。
- 1976〜1989:小学館時代
- 1989〜2009:ジャストシステム時代
- 2009〜現在:CITPC時代
ざっくり、15年、20年、15年といった区切りになります。ジャストシステム時代がやや長いようですが、社員として属していたのは、1998年までで、それ以降は、浮川和宣・初子ご夫妻の御厚意で、ジャストシステムとのコンサルタント契約の下で、国際標準化活動や同社の製品企画に係わっていました。浮川夫妻が、ジャストシステムの経営から離れ、新たにメタモジ社を設立されたのが、2009年10月、それに先立つ9月までで、ぼくと同社とのコンサルタント契約が終了しました。考えてみれば、ぼくのユニコードを軸とする国際標準化活動は、浮川夫妻のパトロネージュに支えられていた、と言っても過言ではありません。
もう、今までのような活動はムリかなあ、と思い詰めていたら、IRGやUTCでご一緒していた当時日本マイクロソフトの阿南康宏さんが、声を掛けてくれました。
「一度、加治佐とお会いになりませんか?」
日本のマイクロソフトの技術責任者を務めておられた加治佐俊一さんとは、もちろん、知らぬ仲ではなかったのですが、文字情報技術世界でも、そして、村田真さんと故樋浦秀樹さんが死闘を演じたワープロなどの文書規格標準を巡る戦いでも、どちらかというと、敵同士といった塩梅でした。加治佐さんとは、どんなことになるかと思いながら、新宿の喫茶店でお目にかかりました。加治佐さんからのお話は、意外なものでした。
「一緒に何か日本語のためになることをやりましょう」
この言葉だけで、日本マイクロソフトは、ぼくとの間にコンサルタント契約を結んでくださいました。主なミッションは、JSC2へのマイクロソフトの帽子をかぶっての委員としての参加と、IVS技術の普及促進活動。直接のカウンターパートとして、加治佐さんが指名してくださったのが、そのころアメリカ本社勤務から帰国したばかりの、バリバリエンジニアだった田丸健三郎さん。
田丸さんを中心として始まったのが、そのころはなかなか実装が進んでいなかったIVS技術を普及促進するための任意団体の設立準備。今から振り返っても、この準備活動は、本当に楽しいものでした。フォント業界、印刷業界、システムインテグレーターなどなど、IVS技術を実装する側から、IVS技術を用いてシステム開発や応用製品を開発する側まで、さまざまな業界の現場の仲間が集まって、まさに梁山泊でした。幾度もの準備会合を経て、IVS技術促進協議会が発足したのが、2010年12月。協議会の会長には、ぼくの後任としてISO/IEC JTC1/SC2の国際議長を勤めておられた長岡技術科学大学の三上喜貴さんが就任してくださいました。もちろん、事務局長は田丸健三郎さん。
爾来、15年。協議会の名称は、文字技術促進協議会に変わり、任意団体から一般社団法人になり、三上さんが本務校で副学長に就任されて多忙を極めたことを機に、ぼくが2代目の会長になり。ぼくが、故樋浦秀樹さんと共に戦ったユニコード標準を巡る物語を綴った「ユニコード戦記」を上梓したのは、2011年6月でした。その最後は、こんな言葉で結びました。
情報通信技術の社会的責務についての認識を深める活動、標準化された符号化文字の実用的実装に向けた活動など、まだやらなければならないことは多々残されている。ぼくも、情報通信技術に携わっている人間の一人として、他の仲間とともに社会に対して文化に対して、やはり大きな責務を負っている。そして、それはまた、戦い半ばにして逝ったヒデキに対する相棒(バディ)としての責務でもある。
「小林さん、泣いている暇なんてありませんよ」
戦闘開始。
どうか、この15年を日本語の技術と文化のために戦ってきた仲間たちの戦地報告をお楽しみください。