IPAフォントライセンスを巡って

先般、当協議会所属のフォント技術のエキスパートから、MJ明朝体フォントをWOFF化するサービスを提供しているサイトがある、MJ明朝体フォントの使用許諾契約に違反しているのではないか、との指摘があった。事務局長や対外窓口をお願いしている理事の方とも相談して、このサイトのオーナーに連絡を取り、MJ明朝体決め打ちのサービスについては、公開を差し控えていただいた。
ぼく的には、フォントをWOFF化するサービスの必要性もよく分かるし、協議会としても、WOFF化やサブセットフォントの提供など、協議会として直接行うか、協議会メンバーのフォントベンダー各社にビジネスとしてやっていただくかも含めて、具体的な方策を検討しているところだ。
ちょうどいい機会なので、MJ明朝体フォントの使用許諾契約書の成立の経緯と、ついでに、フォントの知的所有権を巡るず〜っと以前のぼくの経験を書き記しておきたい。
そう考えて、経緯を思い起こそうと、過去のメールなどを掘っていたら、先般、開志専門職大学の田代秀一さんが、当協議会メンバーの勉強会でお話しくださった折の資料が出て来た。とてもよくまとまっているので、この資料を引用しながら、ぼくなりのコメントを添えていくことにしたい。

IPAフォントの歴史(田代さん)

2003年 タイプバンク社から権利を購入 (JIS X 0208相当の文字セット(約7千文字)) 2004年 IPAの委託により開発されたソフトで使用することを条件として公開
2007年 (ソフトにかかわらず)誰でも使えるライセンスを適用(改変は不可)
JIS X 0213相当の文字セット(約1万文字)へ拡張
2009年IPAフォントライセンスの適用
OSI(Open Source Initiative)から、同団体の定めるOpen Source Definitionに合致する オープンソースライセンスであるとの認定を受ける。
2010年文化庁が常用漢字改訂の検討に採用。同年11月に告示された常用漢字表はIPAフォント を活用して構成された。
2010年「文字情報基盤整備事業」開始
内閣官房IT総合戦略室、経済産業省と共に、行政の実務で求められる人名や地名等の正 確な表記をコンピュータで可能にするため、約6万文字の漢字について、文字フォント の整備や文字コードの国際規格化等を実施
2017年 ISO/IEC 10646 ed.5発行、IVD version 2017-12-1発行
2019年ISO/IEC10646ed.5追補2発行。提案していた全ての国際規格化が完了。

昔話(小林)

ぼくがIPAフォントに係わったのは、2007年あたりからかな。特に、2009年のOSIからのOSD認証は印象に残っている。電子書籍コンソーシアム時代からの盟友、沼田秀穂さんと池田佳代さんが、獅子奮迅の活躍をしてくれたっけ。
このライセンスがあったからこそ、後のMJ明朝体フォントの開発、公開が出来たと言っても、過言ではないだろう。

IPAフォントライセンスの背景(田代さん資料)

ライセンス開発当時の議論(1)

「何を」守るのか

  1. タイプバンク社との約束
    • タイプバンクフォントのファミリー化(ウエイトのバリエーション)とバッティングさせない。
  2. フォント産業
    • IPAフォントの存在がフォント産業の脅威とならない。
  3. 一般ユーザー
    • 出所や仕様の明らかでないフォントが混在する状態を作らない。
    • メンテナンスされたIPAフォントの評判をおとさないような改変フォント名規則が必要。
  4. IPA
    • レピュテーション
  5. OSSコミュニティー
    • 自由に使いたい、開発モチベーション。

ライセンス開発当時の議論(2)

「派生」を制限する方法についての案

  1. 差分ファイル(difference file)方式
    • 例えば、UNIXのdiffなどを用いて、差分ファイルとpatchツールのみ派生を許諾する。
    • 差分ファイル自身にファイルの更新機能を付加して配布してもよい。
    →議論の結果「もとに戻せるようにする」という条文とした
  2. 派生フォントは必ずコピーレフト
    • ビジネスで用いるための高品質改訂フォントへコストをかけた改訂への敷居とする。
  3. 改変に伴って既存の市販流通フォントに類似してしまった場合、IPAは一切責 任を負わないことを明記。
    • 既存バリエーションフォントとのバッティングにはIPAは責任をとらない姿勢を出す。
    4.フォント名、フォントファイル名に対する使用制限
    • 派生フォントにはIPAフォントの名称を使用してはいけない(SILのOFL精神と同じ)。

その心は。。。

  • 表意文字
  • わずかな形状変更が(意味に及ぶ)大きな影響
  • 多数の異体字
  • 文字に発展性がある
  • 製品のシェアを背景として、変更された字形が普及してし まう恐れ
  • 利用者の主体性が保証されることが重要

もう一つのポイント(小林)

IPAライセンス開発の背景については、この田代さんの資料で十全に尽くされていて、ぼくがあえて付け加えることはない。ただ、今回のWOFFをめぐる出来事で、思い知った、IPAライセンスの重要なポイントについてだけ、付記しておきたい。
フォントの知的所有権を巡る議論は、今も昔も、主として、書体デザインに係わるものがほとんどだ。
しかし、MJ明朝体フォントについては、文字情報一覧表に記載されている文字図形のすべてが、UCSの符号位置(IVSを含む)から視覚的に表現できる、ということがとても重要なのだ。例えば、JIS X 0213の範囲のフォントなら、それこそ枚挙に暇がないほどの種類がある。JIS X 0208やかつてのCP932相当にまで範囲を拡げれば、その数はさらに膨らむ。
しかし、少なくとも文字情報基盤整備事業が完了した2019年時点では、文字情報一覧表の全ての文字をカバーしたフォントは、MJ明朝体フォントしか存在しなかった。というか、文字情報一覧表すべての文字を網羅するフォント、というのが、 MJ明朝体フォントのいわばレゾンデートルそのものなのだ。
田代さんの資料からは、フォント名への強いこだわりが読み取れるが、そのこころは、MJフォントを標榜するからには、文字情報一覧表に記載されているすべての文字図形が含まれていなければならない、という決意というか責任感があった。
ぼくは、今回のWOFF化ツールを巡る問題で、いわば条件反射的に、「こればヤバイ!」と思ったのだが、その思いをブレイクダウンしていくと、まさに、この田代さんの思いに突き当たる。
MJフォントには、文字情報一覧表のすべての文字図形が含まれていなければならないのだ。

文字セットの表象としてのフォント

ちょっとややこしい話になるけれど。というか、このブログでも、何度か言及してきたことだが、現在のカオスのようなUCSの世界では、Annex Aでコレクションを切って、使用符号位置を制限し、(可能な限り)集合論でいうコンパクトセットを保持することが重要になっている。
元AdobeのフォントエンジニアのKen Lundeは、IVDの説明のところで、glyphic subsetという言葉をつかっているが、文字の抽象的な形としてのglyphに内包される具体的な図形の範囲は、文字集合全体が(コンパクトセットとして)定まっていなければ、定めることが出来ない。言い換えれば、文字集合の構成要素が変化すれば、あるglyphに含まれる具体図形の範囲も変化する、ということ。
かつて、JIS X 0213でJIS 0208では包摂されていた文字を分離した際に起こったことを思い起こせば、ピンとくるだろう。
MJフォントに戻って、WOFFやサブセット化の問題は、MJフォントから、一部のグリフイメージを切り取って、サブセットを作ってしまうと、その背後にある文字集合も変化し、ユニコードでいうところの、統合範囲も変化してしまう、ということ。

協議会としてのWOFFやサブセットフォント化の検討

とはいえ、文字情報基盤の運用上、その実装環境によっては、WOFF化やサブセット化が必要な局面があることは、十分承知している。
端的な例を挙げれば、現在、デジタル庁で検討が進められている、行政事務標準文字(いわゆるMJ+)でも、現在の文字情報基盤にこれらの文字を追加すると、現在のオープンタイプフォントの制限である16bitの範囲を超えてしまうので、複数のファイルに分離するか、何らかの形での文字一覧表のサブセット化が避けられない。
協議会としてのソリューションについては、会員となっているフォントベンダー各社によるビジネス化も含めて、鋭意検討が進められている。
その場合、現在のIPAフォントライセンスとは異なるライセンスによる使用許諾が必要になるかもしれない。その場合でも、上に掲げた田代さんの思いが継承されることは言うまでもないだろう。

IPAフォントライセンス v1.0(田代さん資料)

  • 文案作成を野口祐子弁護士に依頼
  • 商用利用を含み、無償で利用可能。
  • コピー・再配布を自由とするが、再配布にあたっては同じIPAフォントライセンスを継承さ せなくてはならない。またフォントの名称(「IPAフォント」商標登録済み)の変更は認めない。
  • IPAフォントを改変した「派生フォント」を再配布可能。 (条件)
  • 利用者が、その意志により、派生フォントを オリジナルのフォントに戻せる方法を提供しなければならない。
  • 派生フォントは、Web等のだれもがアクセスできる方法により 。
  • 派生フォントには、それをさらに改変するために必要となる十分な情報を添付しなければならない。
  • 派生フォントにも、同じIPAフォントライセンスを継承しなければならない。

オープンフォントの志(小林コメント)

このライセンスの文案を作成してくださった野口祐子弁護士は、クリエイティヴ・コモンズ・ジャパンの中心人物としてつとに有名な方。彼女に文案をお願いし、OSIとの密なやりとりを経て完成したのが、IPAフォントライセンスというわけ。
現在、当協議会から配布しているMJ明朝体フォントも、もちろん、このライセンスの元で配布している。当協議会は、独立行政法人情報処理推進機構から、文字情報基盤に係わる一切の成果物について、信託譲渡を受けているわけだけれど、その中核となる文字情報一覧表とMJ明朝体フォントとともに、このライセンスも、文字情報基盤の重要な成果物と言えるだろう。

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