MJ戦記とほにゃらら戦記(書き始め)

先般(2021年7月9日)、協議会のメンバー限定で、文字情報基盤の信託譲渡、なかでも、MJ文字情報一覧表とMJ明朝についてのセミナーが開催された。 講師は、IPAの元理事で、今は開志専門職大学で教鞭を執っておられる田代秀一さ んと、当協議会の事務局長田丸健三郎さん。協議会の理事でもあるイワタの水野 社長が、コーディネートの労をとってくださった。ぼくは最初に、会長とし て短い挨拶をしたのだが、話をしながら万感こみ上げてきた。いわば、「ああ、 ぼくが手塩にかけて育ててきた文字情報基盤の成果物が、また、ぼくの手元に戻 ってきた」という感慨。この感慨は、田代さんや田丸さんの話の間も、ずっと続 いていた。お二人の話の話の端々から、文字情報基盤を開発していたころのさま ざまな思い出が、ものすごくリアルにフラッシュバックしてくる。ほとんどが、 結構大変だったけれど、今となってはいい思い出、の類。
田丸事務局長からは、このブログに一回は新し記事を投稿しろ、と厳命されている。「やる仕事があるのが、最大の老化防止策ですよ」と無茶苦茶なことも 言う。まあ、その謂にも一理ある。そんなわけで、上梓してからもう10年以上経 つ「ユニコード戦記」の後日譚を、時間軸では上梓前でも戦記に触れられていな いこと共も含めて、少しずつ振り返っていきたいと思う。ボケ防止のためにもね。
「ユニコード戦記」の索引には、「汎用電子情報交換環境整備プログラム」という言葉は、1個所しか出てこない。233ページ。ちょっと長くなるけれ ど、話のとば口として、引用しておこう。

汎用電子情報交換環境整備プログラムとIVS


「ユニコード戦記」が発行されたのが2011年6月10日。畏友ヒデキが急逝したのが、2010年4月7日。ぼくにとっては、この汎用電子コレクション のIVD登録が、「ユニコード戦記」を擱筆する上で、とても大きな区切りとなっ た。次回は、この2010年から2011年ごろから、「ユニコード戦記」で書き漏ら したことどもを中心に、時を遡っていこう。
《事後的な注》
汎用電子プロジェクトには、「戦記」に登場する高田さんの他にも、今でも協議会かかわっている人たちがいる。副会長の山本さん (アドビ)が文字グリフ作業委員会の委員長として、加除の野島さん(当時は富 士通)が副委員長として、係わっていた。まあ、狭い業界と言えば狭い業界なのだけれど、往時の事情を知る専門家が、身近にいることも、この協議会の大きな強みでもあるね。ぼくの(老化現象による)記憶違いも正してもらえるし。

ユニコードでIVSをめぐる議論が行われていたさなか、日本でも外字問題に決着をつけるべく大規模な プロジェクトが進行していた。汎用電子情報交換環境整備プログラム。このプログラムは、もともとは情報処理学会が主催していた文字コード委員会での 議論を踏まえて、佐藤さんとぼくが戸籍実務や住民基本台帳実務で用いられてい る漢字の悉皆調査が必要なことを経済産業省に訴えたことが契機となったものだ った。ぼくたちの働きかけが奏功して、2002年から情報処理学会、日本規格協 会、国立国語研究所が共同受託する形で、この汎用電子情報交換環境整備プログ ラム(以下汎用電子プログラムと略す)が開始された。佐藤さんとぼくは、問題提起をした関係もあって当初は積極的にこのプログラムの推進に協力し ていたが、プログラムの具体的な運営方法についての他のステークホルダーたちとの考え方のちがいから、実際のプログラムには参加することにはならなかっ た。プログラムは予想以上に、否、佐藤さんやぼくが予想していたとおり、2008 年になって、当初予定された期間が過ぎても、目に見える形での成果が見えてこない。そのために、さらにフォローアップのための予算措置が講じられた。ぼく は、経済産業省の担当者からプログラムの成果を標準化プロセスにのせるための 小委員会に参加することを要請された。汎用電子プログラムは当初、総務省 が所轄する住民基本台帳ネットワークに用いられる文字集合(住基ネット統一文 字)と、法務省が所轄する戸籍に使用される可能性のある文字集合(戸籍統一文 字)を整理統合するところから始まり、のちに登記簿謄本に実際に使われている 文字集合(登記統一文字)が加えられた。作業の多くは、当初は笹原宏之さん (プロジェクト途上で早稲田大学に異動)、のちにそれを引き継ぐ形で高田智和さんという国立国語研究所の気鋭の研究者が中心となって基礎調査研究を行い、それの基づいて具体的な平成明朝体のグリフを設計する作業が並行して行われた。ぼくが参画した標準化作業委員会は、それらの成果を可能な限り国際標準に反映させるとい う役割を持っていた。この一連の作業の結果、汎用電子プログラムの成果 の一部は、日本から統合漢字への採録が提案され、拡張CおよびDの一部として標準化された。また、従来のUCSの統合規則では統合の対象となる字形につ いて当初は互換漢字領域への提案として準備が進められたが、IRGやWG2におけるUSやUTCからの強い勧めもあり、最終的には互換漢字領域への提案を取り下げて、ユニコードに対してIVD登録することになった。そして、2010年12月14日、 正式に登録が完了した。IVSについて、なによりも特筆すべきことは、 2009年になってマイクロソフトがWindows7に、アップルコンピュータがMac OS Xの最新版に、IVSの表示機能を盛り込んだことだ。アドビのAcrobat9への実装やマイクロソフトのWindows7への実装、Msc OS Xへの実装が市場に投入されたことで、IVSはやっと実用的な普及段階に突入した。ヒデキとぼくがVSの アイディアをUTCに提案してから、すでに12年の年月が流れていた。(p.233~)

拙著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011年)

「ユニコード戦記」が発行されたのが2011年6月10日。畏友ヒデキが急逝したのが、2010年4月7日。ぼくにとっては、この汎用電子コレクション のIVD登録が、「ユニコード戦記」を擱筆する上で、とても大きな区切りとなっ た。次回は、この2010年から2011年ごろから、「ユニコード戦記」で書き漏ら したことどもを中心に、時を遡っていこう。

《事後的な注》

汎用電子プロジェクトには、「戦記」に登場する高田さんの他にも、今でも協議会かかわっている人たちがいる。副会長の山本さん (アドビ)が文字グリフ作業委員会の委員長として、加除の野島さん(当時は富 士通)が副委員長として、係わっていた。まあ、狭い業界と言えば狭い業界なのだけれど、往時の事情を知る専門家が、身近にいることも、この協議会の大きな強みでもあるね。ぼくの(老化現象による)記憶違いも正してもらえるし。

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